2010年1月22日 (金)

13、川久保玲

三宅さんによって、
西洋人の服飾観は崩壊させれらました。
ところがさらに、東洋人が乗り込んできて崩壊を押しすすめます。

「グラマラスな肉体も、あくまで相対的な価値観ですよ」

元来洋服は、マッチョ主義者の西洋人の服として発展してきました。
マッチョが至上価値→
ボンキューボンの曲線を強調→
だからパターン(型紙)が重要という流れです。

だいたいヨーロッパは、北にありすぎて穀物があまり実らない。
中世ドイツの麦の収穫率なんか3倍です。一粒蒔いて三粒しか収穫出来ない。
アジアで栽培されていたイネ、お米は200倍以上あります。一粒育てて200粒収穫できる。
それに比べればほぼ収穫ナシと言っていいくらいの量です。
だから穀物はほとんど食べられない。
豊かだから肉しか食べないというよりも、
穀物栽培が出来ないから肉ばかり食べる、
それが昔のヨーロッパの実態です。
だから昔のヨーロッパは、面積のわりに人口が少ないのです。

肉ばかり食べていれば、当然体はマッチョになります。
マッチョな肉体を誇示する服が発達するのは当たり前です。
はじめにマッチョな肉体があって、
それを表現するために、
型紙や、生地や、デザインが発達する。
そのマッチョ肉体→マッチョ肉体用の服という、
ベルトコンベアのように自動化された思考回路に、
川久保さんは穴を開けました。
具体的活動としては、服に穴を開けたのです。
そのまんまですね。

そうしたら穴からガスが漏れた。
マッチョ至上主義、
マッチョ至上主義に支えられたファッション観
マッチョ至上主義を前提にしたデザイン
それら全てが、シューっという音と共に漏れてしまって、
しぼんでしまって、
残ったのは、価値観の無い世界、
「こうあらねばならない」という前提の無い、
肉体でした。

三宅さんが、服の作り方という点から行った仕事を、
川久保さんは、そもそもその服を着る人間の肉体に関する価値観にたいして、
おこなっていったのです。

思い起こせば、
ヴィオネは、体にぴっちりした服を作っていました。
それは体の曲線を外から見えるようにするためです。
そのためにヴィオネは、型紙技術の限りを尽くした。
バレンシアガは、ぴっちりとした服ではありませんが、
体の曲線を暗示するように服を作っていました。
デザイン、型紙、素材、裁縫、全ての条件を整えて彼はそれを実現しました。
それらエンジニアタイプの仕事の、
前提の前提になる、
「マッチョな肉体が良いのだ」という価値観全体を、
川久保さんは壊したのです。

ちなみに川久保さんは、元来哲学を学んだ人で、
服飾のトレーニングは受けていないはずです。
ポワレ・シャネルのような、政治家タイプのデザイナーさんです。
彼女が、エンジニアタイプのヴィオネ・バレンシアガの存在意義をなくしてしまう。

前回三宅一生さんのところでご説明しました。
政治家タイプのポワレの命脈を、
エンジニアタイプの三宅さんが絶つ。
それと逆といいますか、
同じといいますか、
大変興味深い流れですね。

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2010年1月19日 (火)

12、三宅一生

日本人のデザイナーを取り上げます。
三宅一生さんです。
もちろん有名な方ですが、
「なぜ三宅さんが西洋であれほど高い評価を受けたか」
ご存知ない方も多いと思われます。
これは今まで述べてきたような、
政治家タイプのデザイナー(ポワレ・シャネル)
エンジニアタイプのデザイナー(ヴィオネ・バレンシアガ)
の4人の仕事を知らないと、理解できにくい点なのです。

西洋人は前述のように、
何が何でも体にぴっちりした服を着て、
なにがなんでも曲線を強調しなきゃいかんと思い込んでいました。

それは結局、コルセット拘束競争の様相を呈してしまい、限界にぶちあたり、
そしてヴィオネやバレンシアガが、その技術的問題を解決してゆきます。
それが20世紀服飾の発展の歴史でした。


そこに、そもそもぴっちりした服を着る伝統の無い人、
曲線を強調する必要性を感じていない人が乗り込んできて、
あっさり言ってしまいました。

「そんなの、必要ないでしょう」

服は体を覆うものであり、
要は人体を梱包さえすれば必要が足ります。
西洋人以外の人種は基本的にそのように考えていて、
特に農耕民族の服はそうです。
インドのサリーなんかが代表例ですが、
体に巻きつける一枚の布に過ぎません。

「そうですよ、これも服なんですよ」

と言われて、西洋人は後頭部をハンマーで殴られたようなショックを受けたのです。
結局、ヴィオネ、バレンシアガの努力も、
肉体を表現する服としての文脈の中での努力だったのです。

それらを無駄な努力とは言いませんが、
文脈から外れて客観的に見てみれば、より多くの選択肢が存在していました。
その選択肢に気が付いたその瞬間に、
西洋人は自分達の服飾の価値観の特異性に気づき、
その価値観を相対化するようになり、
西洋至上主義から強制的に脱却されるようになります。
帝国主義からも脱却せざるをえなくなります。
西洋人の、眼そのものを破壊するというか、変えるというか、
そういう効能がある仕事なのです。

最初にご説明した、
コスプレ帝国主義者のポールポワレさんは、
三宅さんによって完全に命脈を絶たれたのです。
ちなみに三宅さんは、
元来バレンシアガにあこがれて渡欧した方で、
ヴィオネの研究書の監修者でもあります。
エンジニアタイプのデザイナーさんです。

特に女性の皆さんには、知名度の割りに比較的受けの悪い方ですし、
渡辺貞夫と区別のつかない方も多そうですが、
そのような巨大な意味を持つ活動をされたかただということを、
是非記憶に留めておいてくださればと思います。

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2010年1月18日 (月)

11、サンローラン

少し前になくなったサンローランを取り上げます。
この人はわりと折衷系です。
エンジニアタイプのヴィオネ、バレンシアガ的要素もあり、
彼の作ったトラペーズラインは、バレンシアガの系譜に連なる仕事です。

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体からは離れたライン、体の曲線を強調せず、暗示する。
ということはつまり、サンローランはパターン(型紙)能力も大変高かったはずなのですが、
まだ死後間もないので、あまり逸話としては出てきていません。


代表的な仕事は、パンタロンとサファリルックです。
前者はシャネルの系譜ですね。
女性解放系の服です。
後者はもちろん、ポールポワレの帝国主義です。
ご本人は人種差別の無い、立派な人だったようですが、
サファリルックというのは言うまでも無く、
白人のアフリカ旅行、アフリカ冒険の服でして、
サファリに実際住んでいる人々の服ではない。
ではなぜサファリルックが受けたのか考えた場合、
やはり根底には帝国主義の残存があるだろうと思われるのです。

アフリカはアジアよりも、植民地待遇からの独立が遅れました。
そしてサンローランは、ディオールの後を継いだ人です。
ディオールはベトナムの帽子、
サンローランはサファリルック、
デザイナーと時間的配置と、
政治事件の時間的配置は一致しています。

これまたくどいようですが、
だからサンローランがダメとは全く思っていません。
そうではなくて、
ファッションデザイナーというのは、
あくまで社会の中に存在している職業ですので、
その時、その時の社会事情の理解が、ファッションの理解にはどうしても必要なのです。
人々が大量破壊兵器を欲してる時代ですと、アインシュタインは天才と呼ばれますが、
彼が中世に生まれても、おそらく世間の注目は集めなかっただろうと。
だったらアインシュタインの理解の努力の70%くらいは、
当時の世界の状況理解に裂かなきゃならないだろうと、
そういう主張を本稿ではしております。

バレンシアガのエンジニア的要素と、
ポワレ・シャネル的な政治家的要素、
両方を併せ持つサンローランが帝王と呼ばれたのは、
私には大変納得のゆく話です。
おそらく、洋服自体の根本的な発展の歴史は、
バレンシアガで終わってしまい、
服およびファッションという意味での発展の歴史も、
サンローランで終わったのだと思います。

以前書いたように、西洋人は頭が固い。
その頭の固い連中が、
時代の流れによって世界中に進出するようになり、
世界中の服を見て、それらに影響を受け、
悶絶しながらそれらの価値観を消化してゆく作業、
それがファッションの歴史だったのです。
しかし第二次世界大戦くらいでほぼ、
未開拓の土地、つまり西洋人の価値観の及んでいない地域が、
地球上からなくなってしまいました。
収集した情報は、ヴィオネやバレンシアガのようなエンジニアが、
(たとえとしての表現ですが)
コンピューターに入力して、解析を終了してしまいました。
そしてファッションの夏は終わったのです。
これ以降も優れた人材は沢山輩出されていますが、
それとは関係なく、夏という季節が終わったのです。

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2010年1月16日 (土)

10、ディオール

この写真、服好きの方なら必ず覚えておいて下さい。
ファッションの歴史の中でも、最も有名な写真です。
クリスチャン・ディオールの
「ニュールック」という服の写真です。
発表当時爆発的な人気を呼んだデザインです。

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発表されたのは1947年。
「戦争中、女性達は耐乏生活をしいられていた。
戦後発表されたこの大きなスカートを持ったドレスは、
平和で、ファッションを楽しめる時代が来たというメッセージ性から好評を博し」
うんぬんというのが、よくある説明です。
実際問題、戦争中はこんなスカートは履けなかったわけで、
間違った説明ではないと思いますが、
いままで説明してきたファッションの歴史を理解されている方々には、
別の視点があるでしょう。

そう、気になるのは帽子です。
どう見てもベトナムの帽子ですね。

ベトナムというとベトナム戦争、アメリカの勢力範囲だった、とお思いかもしれませんが、
ベトナムは昔、フランスの植民地だったのです。
第二次世界大戦前は、
仏領インドシナ、略して仏印と言われていました。
そこに攻め込んだのが旧日本軍です。
結局日本軍は負けて、再びフランスが取って代わってベトナムの支配者になった、
だいたいそのころに発表されたのが、この「ニュールック」です。

つまりこれは、ポールポワレの系譜を継ぐ、
コスプレ帝国主義でして、
これを見たフランス人達は、
「ベトナムの支配権を取り戻したぞ、再び昔のような世界帝国をつくってやろう」
という感慨で熱狂した、はずです。
実際にはこの時点から既にベトナムにおける共産主義勢力、
つまり中国の勢力が非常に強くなっていて、
結局はフランスは植民地を失ってしまうのですが、
ともかくもこのニュールックは、
フランスが世界帝国として強大であったときの、夢の名残のような、
そんな服なのです。

くどいようですが、だからディオールはだめだとか、そういうことは思っていません。
ディオールは上品で趣味の良い服をデザインする才能のあった人ですが、
系譜としてはポワレにつらなる人物である、ただそれだけのことを表現しただけです。

この人自身は裁縫もパターン(型紙)も出来ません。
しかし仕上がったものを見ると、
「デザイナーとパタンナーと縫い子が1週間同じ部屋に缶詰になって、
ドレスを1着作ったのではないか?」と思われるほど、
それほどしっかり作りこんでいます。
バレンシアガやヴィオネのように、
作る前のイメージを、型紙だけで一発で完璧に作り上げている、
という雰囲気ではありませんが、
細部にいたるまで丁寧に、執念をもって作りこんでおり、
当時のフランスの服飾業界の人材の豊富さを伺わせるに十分な内容です。

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2010年1月13日 (水)

9、服の建築家2バレンシアガの続き

バレンシアガの服のデザイン、好き嫌いはあるかと思いますが、
(むしろ嫌いな方のほうが多いのではないかと思います)
それでもデザイン、生地選択、型紙などの総合的な意味合いで、
服飾の歴史の中で、バレンシアガだけが唯一の、そして残念ながら最初で最後の、
本物の芸術家であったと言えます。
全てが一貫しており、自分自身でない要素がなにひとつ無い。
まさに「別格」ではあります。
バレンシアガの魅力を紹介するページではありませんので、
別のページをご紹介しておきます。
私はこのページの作者と面識ありませんが。

http://www10.plala.or.jp/dorimi/Blenc/baren.html

文中「カッティング」とか「裁断」とか書かれている部分が、
彼のパターン(型紙)能力を表現しています。


そんなバレンシアガ自身の作品の評価は別にして、
西洋の服飾の歴史の中での彼の意義をここで要約しますと、

1)元来西洋人は、からだにぴっちりとした服、曲線の強調が好きであった
2)それはコルセットのような、体を強く拘束するしくみが必要だった
3)身体的にあまりにも不自然な努力だったので、拘束なしの服を作り始めた(ポワレ、ヴィオネ)
4)拘束なしで出来るだけ曲線を表現できるように、服の作り方が変わっていった(ヴィオネ)
5)それでもそれらの服は、肉体をありのままに表現するので、体型の優れた人しか楽しめなかった
6)体から離れた服を作ることによって、体型が万全でなくとも美しくみえる服が開発された(バレンシアガ)
となります。

これらの開発の歴史はそもそも、
西洋人が肌を見せたくなく、かつ体の曲線を表現したい人種だから生まれてきたことであって、
東洋人の私から見れば、かなり無駄な試行錯誤です。
しかし西洋人というものは、頭が固いのです。
逆に言えば日本人の頭が柔らかすぎる。
昨日まで「尊皇攘夷」と叫んでいた人間が、
今日は「ざんぎり頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」
と言い出す。
一夜にして価値観をころりと180度転換して、
なんとも思わないのが我々日本人です。
西洋人は徹底的に自分の考えにこだわって、なんでもかんでも哲学化してしまう。
偉いといえばえらいのですが、どんくさいと言えなくもない。


以上4名のデザイナーを紹介しました。
政治家タイプのデザイナー2人、
コスプレ帝国主義者のポワレ
宝石ニクソンのシャネル

エンジニアタイプのデザイナー2人
パタンナーのヴィオネとバレンシアガ

この4人から類推するだけで、
他のデザイナーのことがわかるようになります。
これから逐次説明してゆきます。

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