2007年8月 5日 (日)

晴れの日

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こんな夢をみた。

ようやく恵まれた生まれたばかりのわが子を抱いていた。一瞬目を離し、気がつくと赤ん坊がいない。あわてて探すと流し台の下や押入れの中といった信じられない場所にいる。湿気やら埃やら、不浄なその場所にいる赤ん坊を慌てて抱き寄せ、乳を含ませる。おなかがいっぱいになって幸せそうに笑む子を寝かしつけて一安心すると、また一瞬の隙に不浄の場所に移動している。慌ててまた抱き寄せ乳を含ませる。あっという間に移動してしまうわが子を不思議に思うよりも、手元の子どもの暖かさと、生まれてくれたことへの喜びにいっぱいに包まれていた。

そんな夢だった。

さて。
今回のウェブマスターの「裏方日記」を読んで、葬儀屋だの木端微塵だの、花嫁がハダシで逃げ出すような話ばかりで驚きました。でも、ご心配されませんよう。あの話の中にでてくるものは、実は無意識の中に根付いているだけで、花嫁の本来の姿であること、誰の中にもあるものであることを、今日はお話しようと思います。

ウェブマスターの言葉に、「ハレ」(非日常)、そしてその反対の意にあたる「ケ」(日常)というのがありました。聞きなれない学術用語のようなこの言葉も、実は身近な日本人の生活に密着したものです。意識を通り越すほど身近になったために、すぐそばにあることに気がつかれないかたもおられるはず。「晴れ」の日、と書くのも喜ばしい言葉が、「ハレ」。つまり非日常の状態を表すことばです。その反対の「ケ」は日常。では、「ケ」はどんなところで使われているのでしょうか。もっとも身近なことばでは「ケガレ」となるでしょう。
ケガレ・・・穢れ?それと「日常」がどういう関係があるの?と不思議に思われるかもしれません。言葉を分けて考えると「ケ」と「ガレ」となります。日常(ケ)が「枯れる」。それがケガレなのです。

女性は月経やお産、結婚というもののなかで、非日常を生きる瞬間は必ずあります。
生命を生み出すという能力を有する女性は、その神秘性のため太古から畏敬をもたれる存在でした。月に一度は血を流す、という営みもまたを自然とのつながりの中で特別なものに映ったことでしょう。そうした女性の自然への畏敬は、例えば相撲の土俵や料理屋の板場、信仰を集めている山などには女性が触れることができない、という形でも現れました。それぞれの場所にいる神様の怒りを買いかねない、というというのです。なぜ、と聞くと「女性は穢れているから」とさらに現代女性の癇に障る言葉が返ってきたりします。
しかしこの言葉も、もともとは少々ニュアンスが違っていて、特別な能力のあるものが神に近づくことで何がおこるかわからない。女性の特別な力が神々を怒らせるかもしれない。女性は「畏れ」られていたのです。

例えばこの写真。
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赤い傘に入った花嫁はいかにも艶やかで美しく、憧れの存在です。
この赤い傘は花嫁と太陽を遮断するものです。昔は「おてんとうさんに悪い」と表現していました。つまりこの傘もまた、太陽を花嫁から守るものでした。なぜなら花嫁はまさしく生死の境界を行き来する、特別な存在だからなのです。

例えば、以前「守りの力」の中で。
白無垢は死に装束であると書かせていただきました。白無垢を着て女性は娘としての死を迎えるのだ、ということ。懐剣もまた亡くなった方の儀式の時と同様、胸の上にあります。これは「清め」の懐剣です。生死の間にいる非日常の存在、「ケガレ」た存在に対して清めの力が働いているのです。

結婚式に出席した時。人が亡くなったとき。 同じように親族が集まり、会食をする、そして酒を酌み交わすのは。
生と死といった不安定な時間を潜り抜けて、それからの人生を生きていくための、大切なエネルギーの転換の時間でもあるのです。

さて、冒頭の夢に戻ると・・・。
夢では、どこか違う世界からやってきた赤ん坊が、不浄の場所、異界とつながっているのではないかと思うような押入れや流し台の下に瞬間移動しています。そのことを不思議と感じるより、手元に戻り生命の源となる乳をたくさん飲んですやすやとこの手の中で眠ってくれる、そのことのほうが比べようもない喜びに感じられました。
生まれて、そしてこの世に定着してくれるまでは七年かかる、と昔の人が考えていたように(「守りの力」)。生命の揺らぎは自然と思われ、それ以上に生きていてくれる喜びを心から感じる、という夢だったような気がします。

子どもの成長がそうして大切に見守られてきたように。

これから晴れの日を迎える花嫁たちが、この波を無事に通過していきますよう。
昔からそう願われていたように、私もまた祈っています。

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2007年6月18日 (月)

夫婦のかたち

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ラフカディオ・ハーンというひとをご存知でしょうか。
ギリシャ生まれの彼は、世界のいろいろな国を巡る運命にあって、最後は日本に辿り着きました。明治23年のことです。

日本では「小泉八雲」という名前を名乗っていました。「小泉」は松江でもらったお嫁さんの小泉セツさんの姓、「八雲」は古事記の「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」という歌から取ったものです。「雪女」や「耳なし芳一」など、日本の古いお話を小説にして世に広めた人でした。
彼はセツさんにたくさんの日本の物語を自分に語り聞かせてくれるよう頼みました。セツさんもそれに応えるよう、たくさんの本を読んで彼に伝えましたが、本の通りに読むと機嫌が悪くなり、工夫しながら話すようにしたそうです。今に語り継がれる小泉八雲のお話の数々はセツさんがいなくては成り立たないものでした。

小さな虫や夕焼け、寂しい寺や日本の古いものを愛し、うそつきや弱いもの苛めを嫌いました。家も一切西洋風を嫌い、古いものを好むのでお化け屋敷に住みかけたこともあるそうです。

八雲が日本語を綴るのには、ほとんどがカタカナを使ったものでした。
片言の言葉をつなげたものでしたが、セツさんにあてた彼の手紙には「小・カワイ・ママ・サマ」とはじまり、「サヨナラ・カワイ・ママ・サマ」と括る、ほほえましい姿がうかがえます。

三人の子どもに恵まれました。
「パパ、グットナイト、プレザント、ドリーム」
「ザ、セーム、トウ、ユー」
よき夢見ませう、というのがこの家の眠る前の素敵な挨拶でした。

明治37年。狭心症を患いました。

その日の朝、不思議な夢を見た、と彼はいいました。
「大変遠い、遠い旅をしました。今此処にかうして煙草をふかして居ます。旅をしたのが本当ですか、夢の世の中」
「西洋でもない、日本でもない、珍しい処でした」

夜になって、寂しそうな顔をして、セツさんのところへ来て言いました。
「ママさん、先日の病気また帰りました。」
それから数時間後、口のほとりに笑みを含んで彼は旅立ったそうです。

セツさんが綴った『思ひ出の記』という本には彼と過ごした美しい日々のエピソードが描かれています。心美しいひとと、それを壊さないよう大切に大切に守った妻との時間は、100年経っても心打たれるものがありました。


参考文献:『思ひ出の記』(小泉節子著・2003年・ヒヨコ舎)

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2007年1月 6日 (土)

満月のお正月

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今年のお正月の三日は美しい満月でした。帰省ラッシュを潜り抜け、夫と二人で暮らす街に戻り、ほっとしながら見上げた空に浮かぶ満月を見て、ふと昔の人の風習を思いだしました。

このページを読んでいらっしゃる方は、娘として過ごす最後のお正月を、そして結婚して初めて嫁として過ごすお正月を迎えられた方が多いのではないでしょうか。
嫁入り先でも作れるようお母様のおせちを習い、結婚した方は家の風習をお義母様から習って年越しを迎えた方もいらっしゃるでしょう。

おせちといえば、新年の初めくらいは女性も台所仕事をせずとも過ごせるように、と作られてきたもの、と聞きます。しかし、お正月に休むためとはいっても、年の瀬に母や祖母が普段の倍以上台所に立ち、何時間もかけて黒豆を煮たり、手間をかけてキントンを作ったりしているのを見ていると、子供心に矛盾を感じずにはいられませんでした。
実際、母たちはお正月を迎えても何もしないわけにはいかず、朝は暖かい雑煮を作り、子どもたちは苦手なおせちには愛想程度にしか手をつけないからまた料理をしなくてはならず、女性がゆっくりとしているお正月の情景は我が家を思い出す限り浮かばないのです。

そんな実際目にする習慣と、耳から聞く習慣の差の不思議は、少し前の時代のものと現在のものとが混在していることにあるようです。

御節(おせち)、と漢字で書くとおせちが区切りの日、節句と関係があることがわかります。一月一日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日、これを五節句といいます。(九月九日はあまり馴染みがありませんが、菊の節句です。)
特に、歳神様をお迎えするお正月には、火を使うのを慎みつつ、神様と一緒にご馳走をいただく、という慣わしがありました。だから年末に豪華な料理を作り置きして、なるべく火を使わずお正月を過ごす、という習慣になったのだそうです。

昔はお正月には、その家の家長か長男が朝早く起きて井戸へ行って水を汲んできます。これを若水汲みといいました。その清らかな水を使って、お雑煮もお茶汲みもその男性がしてくれた、というのですから、三が日、女性は楽ができた、と言われたのでしょう。

とは言いつつも、実際には女性が寝て暮せたわけではなくて、年始客の対応などで忙しく、本当にゆっくり出来たのはお正月が過ぎて、15日くらいからだったそうです。その頃を「小正月」とも「女の正月」とも言いました。お嫁さんは実家に戻り、しばしの休息を得たのでした。

昔の暦でいうと、今年の小正月は三月四日にあたります。今より少し風も水も温んで、春の訪れを感じつつ実家に戻るその頃は、嫁いだばかりのお嫁さんには嬉しい日であったことでしょう。

昔の暦の小正月はちょうど満月であったそうです。


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2006年11月 4日 (土)

レースと皺と。

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晴れの日にあわせ、美しくあろうとする花嫁。
美しくあろうとする裏側には、自分で最も自覚している欠点をカバーしたいという思いがある。かつての私も、普段の不摂生から酷くなった皺をなんとかその日に間に合うようケアをした。結局私はその日には間に合わなかった。しかし、その心持ちが花嫁たちを特別に仕立て上げる一つのエッセンスになっていることは確かだと思う。

先日、嫁した家の親戚の、米寿を迎えた女性を見舞った。昔話に出てくるような古い民家を一人で守り、草花を愛して生きてきたひとが、風邪をこじらせ、娘夫婦の家で寝ていた。
彼女の着ていた寝巻は、長い間繕い続け、何十年も着ているものであろうことがすぐにわかった。味わい深いその着物は、彼女を包むにふさわしい衣装だった。
皺を刻んだその顔や手は、老いて病んでもなお美しかった。
生まれたての赤ん坊を目の前にしたときのような、抱きしめたくなるようなかわいらしさが溢れ出ていた。
床に臥しても、ずっと古い家と畑と草花を心配していた。話は突如過去にさかのぼり、そして現在に戻り、縦横無尽に時を旅して彼女は語る。まるでレースのように彼女の人生が編みあがる。

ふと、自分の手の甲を見た。
若い娘の時とは違う、レースのような細かい網目が、私の手にもあった。
安心して老いていい。花ざかりは老木にもある。
私も美しく老いていくことができるだろうか。

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2006年10月 1日 (日)

守りの力

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秋になり、早くも七五三の晴れ着を着て歩いている親子を見つけました。
子どもへの犯罪が懸念される現在、子どもの写真をホームページなどに載せることは、万が一の事に繋がりかねないと、小学校や幼稚園のホームページではセキュリティが張られ、子どもの顔にはボカシが入るなど、なんとも不自然なことがあたりまえになってしまいました。
私が見たその七五三の親子。
お母さんが晴れの日に、なぜその着物を子どもに着せているのか、という本来のお気持ちを大切にし、写真を撮らせて頂く事は遠慮しました。
実はお母さんの手に引かれていたその子の背に、私が探していたものがあったのです。

それは背守りといって、子どもを魔物から守るために大人がつけるものです。
戦争の時の、千人針(多くの女性に赤い糸で玉結びを作ってもらい、お守りとして戦地へ持っていくもの)でも思い出されるように、昔から針や女性には特別な力があると信じられてきました。
針の力で子どもを守るために作られた、背の守り。
子どもの着物にはそんな守りが施されているものがあります。

子どもの体は小さく、大人の着物のように、背中に縫い目がありません。
縫い合わさずとも一枚の布で着物が作れてしまうからです。
すると、魔物が入ってくる、無防備なその背には針の力が働きません。
そこでつけられたのが、背守りでした。
それは飾り糸であったり、家紋やおめでたい文様の刺繍であったり、押し絵であったり、とさまざまです。

医学的に言っても、子どもはとてもはかない存在だそうです。
人間は20人子どもが産める作りになっているそうです。
でも、その中で10人が生まれてくることができ。
さらに、その中で親となれる年齢に達するのは2人しかいません。
本来の、動物としての人間は、それほどはかないものだったのです。
今のように、衛生状態や医療が整っていないとき、日本もそうした環境でした。

だから七五三で、三歳、五歳、七歳、と危ない年齢を超えたことをお祝いし。
七歳までは神のうち、といって大人は必死になって守ったのです。
境界の世界にいる子どもたちを。

「花嫁は二度死ぬ」で書いたように、花嫁もまた境界に存在しています。
美しい白無垢姿の胸元には、魔物から身を守る懐剣が忍ばされています。
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Siestaのドレスには、そうした境界の人への。
特別な日を迎えて生まれなおす、産着としての背の守りが。
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懐剣の代わりには、一針一針縫い付けられた守り石が。
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もう一度、無事に生まれておいで、と。
縫い付けられているように思えてならないのです。    

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2006年9月 8日 (金)

お色直し

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歴史を調べる、という仕事をしていると、直接古い蔵に入れていただいて、戸主の方でさえあけていない、いや、ひょっとしたらその先代もあけたことのない長持やはさみ箱や箪笥といったものの中を見せていただくことがあります。

長持やはさみ箱や箪笥といったものは嫁入り道具の一部ですが、最近は箪笥以外の言葉は聞きなれないかと思います。長持には布団が、はさみ箱には着物や帯が入れられていたようです。

年月を経た、そうした嫁入り道具の入れ物は、多くは中身を変えていて、私たちがその地域の歴史を知る手がかりとなる、古文書のようなものがぎっしりと入っていることがあります。私たちは、そうしたものが入っている状況も丹念に記録しながら、歴史を紐解く作業を行います。
テレビなどで放映されるような「お宝」だけを掘り出すのとは違って、実は恐竜を土の中から探し出すかのように、どんな小さなものも元の状態がわかるよう、記録しておくのです。「お宝」だけに目が行くようでは、人の営み、というのは理解できません。
そんな歴史作りの裏話はともかくとして。

大正・昭和のものでは、そのままその女性の生涯がそっくり入った、タイムカプセルのような箪笥に出会うこともあります。

お嫁入りに際して、実家が持たせてくれた着物類。
それを大切に、大切に着て、着物と一緒に老いていく。
何年も、何代も、そうした女性が無数にいたことでしょう。

今日のタイトルとした「お色直し」。
披露宴という数時間の間に、何度も席を立ち、ドレスや着物を変える習慣に不思議を感じたことはありませんか。私はずっとわからなかったのですが、つい最近、昔の習慣をお年寄りから聞き取って書きとめたものを読んで、その謎がわかったような気がしました。

式場やホテルで披露宴、というのは最近のお話しで、それまでは家で行っていたものです。
家で行うのですから、時間制限はありません。

  「ああ、そうか、なにしろ嫁は二晩ぐらいろくに寝ずだ。」
  「本当に昔のお嫁さんは大変ですよ。お吸い物が変わるたびにお色直しするし。」
  「普通は江戸づまから引き返しに替え、次にちりめんの重ね着、その次にはな色の
  着物に着替え、最後にお茶汲み着物に着替えて、お茶をみんなに汲んでお開きと
  なるんですから普通でも四、五回は着替えたでしょうか。」

吸い物が変わる、というのは、文字通り、はまぐり、昆布、鯛の吸い物、というような感じだったそうです。
持ってきただけの着物を着替えた、というのですから、嫁入り道具の披露、という意味もあったのでしょう。

“お茶汲み着物”でお開き、というのですから、

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こうした光景をよく見るようになったのも、日本の土壌にあったものなのかもしれません。



参考文献:『田無のむかし話 座談会 その2』(田無市立中央図書館編・1978年)

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2006年8月23日 (水)

美女と野獣

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ときどき、夫を見つめながら思う。

実はこの人には悪い魔法がかかっていて、何かの拍子に魔法が解けたら美しい王子で、何不自由ない暮らしが出来たりなんかして・・・。

そんな妄想を妻が持っていることは、ナイショだ。

魔法がかかって、王子が醜い姿に変えられている、というお話しで思い出されるのは「美女と野獣」という物語。

簡単に要約すると・・・。

あるところに四人姉妹がおりました。

父の旅の土産に、三人の姉は高価なものをねだりましたが、末娘が願ったものは「白いバラ」。

父は知らずに野獣の庭から白いバラを持ち帰りました。

野獣は罰として父に三ヵ月後に来るように、と言いましたが、その身代わりに野獣のお城に行ったのは末娘でした。

野獣は娘に何不自由ない暮らしを与え、しきりに求婚しました。

娘はその求婚に応じませんでした。

ある日、娘は父が病気であることを知り、一週間で帰ると言って父の元へ戻りました。野獣は「もし私を見捨てたら、私は死ぬだろう」と言っていましたが、妹が何不自由ない暮らしをしていることを妬んだ姉たちは約束の日が過ぎてもお城へ帰してくれません。

娘は野獣が死んでいく姿を夢で見、彼を生き返らせるためにお城へ戻ります。

死に瀕した野獣を見たとき、娘は恋に落ちていたことを悟り、野獣の求婚を受け入れます。

すると野獣は消え、美しい王子が現れます。

見かけではない、その心の善良さに惹かれる女性が現れるまで解けない魔女の魔法にかかっていたのでした。

今日はこの物語について読み解いてみたいと思います。

このお話の中で印象的なのは何といっても「白いバラ」。

姉たちが高価なものをねだったのに、末娘は「花」で心の充足を願います。

このバラは、娘の清らかさを現していると同時に、姉たちと対比させて「見せかけではない」ものを欲しているという象徴に読み取れます。

野獣の城で暮らすようになっても、娘はまだ自分が本当に欲しているものに気が付いていません。

父が病気になり、父の元へ戻ったとき野獣を見捨てることも出来たはず。

野獣を想って城へ帰っていくとき、既に娘は父からも精神的に独立した大人の女性へと成長していたのです。

こうした親からの精神的な独立も、結婚には必要なイニシエーションです。

そして、恋には恐ろしい魔女の魔法も解くほどの力を持っているのですね。

そう、それは直感の中にあって、見かけの美しさに左右されることはないのです。

さて、似たようなおとぎ話に「カエルの王様」というのもありましたっけ。

カエルの王様は、お姫様に投げつけられて魔法が解けるんでしたよね・・・。

あ、そこの方、いけませんよ。あなたの愛する人で試してみては・・・。




参考文献:『女性の心の成熟』(玉谷直美著・1985年・創元社)

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2006年8月14日 (月)

花嫁は二度死ぬ。

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のっけから、お叱りを受けそうなタイトルをつけてしまいました。

最初にお断りしたように、人の営みの中には残酷なこともある、ということを申し上げましたが、花嫁さんやそのご家族には「何たること!」と思われるかもしれません。
(映画のタイトルからもじってみたのですが。)
どうかこれも訳あってのことと、ご寛容にお許しいただければと思います。

人は誰でも死を経験します。
でも、花嫁というものは、実は結婚の時に「死」を経験するのです。
今日は、そんなお話しをさせていただこうかと思います。

ウェブマスター茂桐氏は民俗学という学問にとてもご興味があるようです。
民俗学と言う言葉については、茂桐氏がかつて「男性から見た結婚式」で書かれていました。
私も結婚についての歴史や民俗、昔から伝わるお話しには関心を持っていました。
人の営みの、習慣に秘められた“謎かけ”にはどんな意味があるんだろう。
そんなことを、少しずつ、皆さんにお伝えしていければいいな、と思っています。

ただ、現代においても結婚というものが、地域や個人によって多種多様であるように、過去においてもまた、「昔の結婚はこうだった」と一概にはいえません。 例えば離島によっては動物や植物が独自の進化をするように、人間の結婚という習慣もまた、交通やメディアの発達していない時代には地域独特の特色を持っていて、その名残を私たちはどこかで受け継ぎ続けているのです。

さて、本題に入りましょう。
皆さんは白無垢という花嫁衣裳は、「その人の色に染まりますように」という祈りが隠されている、とお聞きになったことはありませんか。
私もそのように聞いて育ちました。大和撫子らしい、奥ゆかしい習慣だな、と思っていました。

ところが、大学で「民俗学」なるものを習ったとき、とんでもないことを聞かされました。

白無垢は、死に装束(死んだ人の衣装)だというのです。
つまり、あの「白」は御棺の中の人と同じ、「白」であると。
夢見る十代の私にとっては衝撃的なお話でした。

花嫁は、それまで生まれ育った実家では「娘」でした。
結婚によって「娘」は死に、大人の女性として生きていくことを求められます。
もう「娘さん」と呼ばれることはありません。
その儀式が結婚式であるとすれば、花嫁衣裳の白無垢が、死に装束であっても不思議ではないのです。

結婚が式場やホテルではなく挙げるものではなく、家から家へ行くものであったとき。
花嫁衣裳を実家で着付けられ、花嫁は送り出されます。

白無垢を着付けてもらって、家を出るときも。
このとき、花嫁は家の中から草履を履いて出ています。
これは、葬送で言えば、出棺のときに担ぎ手が履物をはいたまま部屋を出て行くのと同じ意味合いからきています。
今でも新しい靴をおろすとき、部屋からを履いてでたらお行儀が悪い、と叱られるのは、この習慣に通じるものがあるからなのです。

そんなことを物語る、京都の習慣を一つご紹介しましょう。

服飾評論家の市田ひろみさんが、テレビの中でこんなことを話されていたことがありました。

  「京都ではお嫁に出るときは実家の玄関で茶碗を割るんです。死んだ人と同じよう
  に。二度と帰るな、という意味だと思うんですけど、それを見ていると切ない気持ち
  になりました。」

とても美しい京都言葉で話されたその習慣を聞いた時には、私も市田さんと同じようにきゅうっと胸を締め付けられるような気持ちがしました。
現在でもこの習慣は続いているところがあるようです。

こうした、花嫁に「死」を経験させる、あるいは死んだ人と同じ扱いをする、というお話しは全国各地にたくさんあります。
その習慣についてはまた別の機会にお話しさせていただくことになりますが、人が「死」を経験する前に不安にかられるのは当然のことで、それが結婚前の悲しい気持ち、いわゆるマリッジブルーにつながっているのかもしれませんね。


そういえば、ブライズルームで。
花嫁は部屋の中から靴を履いて式に向かいますが、これも意味深く感じてしまうのは考えすぎでしょうか。
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参考文献:『女の眼でみる民俗学』(中村ひろこ他著・1999年・高文研)

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2006年8月 7日 (月)

人生の花

Siestaでは花嫁一人ひとりに合わせて、パターンを作成し、仮縫いをします。

世界でひとつだけの、一人の花嫁のために生まれてくるドレス。

その役割を終えた姿は、花のように、はかなく感じられます。

結婚式のために咲き開くドレスをまとって、人生最良の日を迎える花嫁は、まさに「人生の花」です。

このブログのタイトルのSpringtime of Life。

この名前は、100年以上も前に描かれた絵からいただきました。

上村松園と言う女流画家が描いた「人生の花」。

英名を”Springtime of Life(Bride)”といいます。

http://www.meito.hayatele.co.jp/

所蔵作品紹介

http://www.city.kyoto.jp/bunshi/kmma/calendar/2004-2005/index.html
主催展・共催展案内[2004.4.4-2005.3]京都 秋の芸術文化月間 特別展「新説・京美人」


私がこの絵を初めて見たのは子どもの時でした。

家にあった画集でこれを見たときの感動は今でも忘れられません。

昨今まさに、黒引き振袖は花嫁の心をとらえていますが、私が子どもの時(昭和後期)には和装といえば白無垢や色打掛が一般的で、黒引き振袖は見たこともない花嫁衣裳でした。

その絵の、黒い衣装から引き立つ花嫁の白い肌や、角隠しに透かされた赤い布。

何よりも、花嫁のはじらいと共に伝わってくる不安や決意のようなもの。

音のない世界でありながら、映画のように語り掛けてくる一幅の絵は、「こんな花嫁になりたい」という憧れを抱かせるには十分なものでした。

松園は、この絵と同じ構図で「花ざかり」という絵を描いています(現在は焼失)。

松園が「花ざかり」を描くきっかけになったのは、知人の嫁入りの際、その手先の器用さを買われて、着付けなどの手伝いを頼まれたことでした。

「花こうがい、櫛、かんざし、あげ帽子など、花嫁の姿をスケッチし、付添いの母の、前に結ぶ帯までスケッチしたのがあとで役立ったのでした」と松園は語っています。

ほぼ同時期に描かれた「人生の花」も同じ環境の中で生まれたものだと考えられています。

Siestaの、花嫁を見つめる視線と同じものの中で生まれた作品。

私がSiestaのホームページの花嫁たちを見たときに、子どもの頃に感じたのと同じ憧れを抱いたのは、「人生の花」の花嫁と同じものを感じたからかもしれません。

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この写真は、花嫁の美しさが、凝縮された一枚。まさに「人生の花」。

松園の「人生の花」は、名都美術館と京都市美術館に所蔵されています。




参考文献:『現代日本美人画全集 第一巻 上村松園』(
1979年・集英社)

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2006年8月 3日 (木)

はじめまして。

はじめまして。敬子といいます。

私は「人の営みの記憶を残す」、ということをライフワークとしています。

昨年までは博物館で学芸員として働いていました。現在は充電中で、歴史研究者(夫ですが)の研究の下準備をしたりしています。

ウェブマスターの茂桐氏は、私好みの記事が書かれることが多く、ついそれに反応して食い下がっているうちに、今回ブログを書く機会を与えていただきました。
(おそらく相手をしているのがつらかったんだと思います。)

よって、私はSiestaの中にいるわけでもなく。

花嫁さんとSiestaの間にいる、そう、ひょっとすると”毒リンゴ”を持った魔女のような存在なのかもしれません。

ときどき、Siestaの意図することではないことも書いてしまうかもしれない、曲者なのです。

仕事柄、結婚についても、少しではありますが、その習慣なり、歴史なりを学んだことがあります。そんなこともあって、今回、私が知っているトリビアのようなものを、皆さんにお話しできることになったのですが。

私の持っているものは、本当にささやかなもので、私より確かなことをご存知の方もたくさんいらっしゃるはずです。

このブログでは、私の頭の中にある小さな知識の種に、私自身が見たもの、聞いたもの、感じたものを加えてお話しするつもりです。

学者とは程遠い人間が書くことですので、正確なものではないこともあるかもしれません。気楽に読んでいただければ、と思います。

ただ、人の営みの中に生まれたものには、今の常識からすれば許容できないようなお話しもたくさんあります。今の感覚で言えば理不尽なことも、現代の結婚につながっていたりします。結婚という晴れがましいことにはふさわしくない言葉があっても、私たちが生きてきた営みの中では避けられないこととして、どうかお許しいただければ、と思います。

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