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2006年8月23日 (水)

美女と野獣

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ときどき、夫を見つめながら思う。

実はこの人には悪い魔法がかかっていて、何かの拍子に魔法が解けたら美しい王子で、何不自由ない暮らしが出来たりなんかして・・・。

そんな妄想を妻が持っていることは、ナイショだ。

魔法がかかって、王子が醜い姿に変えられている、というお話しで思い出されるのは「美女と野獣」という物語。

簡単に要約すると・・・。

あるところに四人姉妹がおりました。

父の旅の土産に、三人の姉は高価なものをねだりましたが、末娘が願ったものは「白いバラ」。

父は知らずに野獣の庭から白いバラを持ち帰りました。

野獣は罰として父に三ヵ月後に来るように、と言いましたが、その身代わりに野獣のお城に行ったのは末娘でした。

野獣は娘に何不自由ない暮らしを与え、しきりに求婚しました。

娘はその求婚に応じませんでした。

ある日、娘は父が病気であることを知り、一週間で帰ると言って父の元へ戻りました。野獣は「もし私を見捨てたら、私は死ぬだろう」と言っていましたが、妹が何不自由ない暮らしをしていることを妬んだ姉たちは約束の日が過ぎてもお城へ帰してくれません。

娘は野獣が死んでいく姿を夢で見、彼を生き返らせるためにお城へ戻ります。

死に瀕した野獣を見たとき、娘は恋に落ちていたことを悟り、野獣の求婚を受け入れます。

すると野獣は消え、美しい王子が現れます。

見かけではない、その心の善良さに惹かれる女性が現れるまで解けない魔女の魔法にかかっていたのでした。

今日はこの物語について読み解いてみたいと思います。

このお話の中で印象的なのは何といっても「白いバラ」。

姉たちが高価なものをねだったのに、末娘は「花」で心の充足を願います。

このバラは、娘の清らかさを現していると同時に、姉たちと対比させて「見せかけではない」ものを欲しているという象徴に読み取れます。

野獣の城で暮らすようになっても、娘はまだ自分が本当に欲しているものに気が付いていません。

父が病気になり、父の元へ戻ったとき野獣を見捨てることも出来たはず。

野獣を想って城へ帰っていくとき、既に娘は父からも精神的に独立した大人の女性へと成長していたのです。

こうした親からの精神的な独立も、結婚には必要なイニシエーションです。

そして、恋には恐ろしい魔女の魔法も解くほどの力を持っているのですね。

そう、それは直感の中にあって、見かけの美しさに左右されることはないのです。

さて、似たようなおとぎ話に「カエルの王様」というのもありましたっけ。

カエルの王様は、お姫様に投げつけられて魔法が解けるんでしたよね・・・。

あ、そこの方、いけませんよ。あなたの愛する人で試してみては・・・。




参考文献:『女性の心の成熟』(玉谷直美著・1985年・創元社)

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2006年8月14日 (月)

花嫁は二度死ぬ。

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のっけから、お叱りを受けそうなタイトルをつけてしまいました。

最初にお断りしたように、人の営みの中には残酷なこともある、ということを申し上げましたが、花嫁さんやそのご家族には「何たること!」と思われるかもしれません。
(映画のタイトルからもじってみたのですが。)
どうかこれも訳あってのことと、ご寛容にお許しいただければと思います。

人は誰でも死を経験します。
でも、花嫁というものは、実は結婚の時に「死」を経験するのです。
今日は、そんなお話しをさせていただこうかと思います。

ウェブマスター茂桐氏は民俗学という学問にとてもご興味があるようです。
民俗学と言う言葉については、茂桐氏がかつて「男性から見た結婚式」で書かれていました。
私も結婚についての歴史や民俗、昔から伝わるお話しには関心を持っていました。
人の営みの、習慣に秘められた“謎かけ”にはどんな意味があるんだろう。
そんなことを、少しずつ、皆さんにお伝えしていければいいな、と思っています。

ただ、現代においても結婚というものが、地域や個人によって多種多様であるように、過去においてもまた、「昔の結婚はこうだった」と一概にはいえません。 例えば離島によっては動物や植物が独自の進化をするように、人間の結婚という習慣もまた、交通やメディアの発達していない時代には地域独特の特色を持っていて、その名残を私たちはどこかで受け継ぎ続けているのです。

さて、本題に入りましょう。
皆さんは白無垢という花嫁衣裳は、「その人の色に染まりますように」という祈りが隠されている、とお聞きになったことはありませんか。
私もそのように聞いて育ちました。大和撫子らしい、奥ゆかしい習慣だな、と思っていました。

ところが、大学で「民俗学」なるものを習ったとき、とんでもないことを聞かされました。

白無垢は、死に装束(死んだ人の衣装)だというのです。
つまり、あの「白」は御棺の中の人と同じ、「白」であると。
夢見る十代の私にとっては衝撃的なお話でした。

花嫁は、それまで生まれ育った実家では「娘」でした。
結婚によって「娘」は死に、大人の女性として生きていくことを求められます。
もう「娘さん」と呼ばれることはありません。
その儀式が結婚式であるとすれば、花嫁衣裳の白無垢が、死に装束であっても不思議ではないのです。

結婚が式場やホテルではなく挙げるものではなく、家から家へ行くものであったとき。
花嫁衣裳を実家で着付けられ、花嫁は送り出されます。

白無垢を着付けてもらって、家を出るときも。
このとき、花嫁は家の中から草履を履いて出ています。
これは、葬送で言えば、出棺のときに担ぎ手が履物をはいたまま部屋を出て行くのと同じ意味合いからきています。
今でも新しい靴をおろすとき、部屋からを履いてでたらお行儀が悪い、と叱られるのは、この習慣に通じるものがあるからなのです。

そんなことを物語る、京都の習慣を一つご紹介しましょう。

服飾評論家の市田ひろみさんが、テレビの中でこんなことを話されていたことがありました。

  「京都ではお嫁に出るときは実家の玄関で茶碗を割るんです。死んだ人と同じよう
  に。二度と帰るな、という意味だと思うんですけど、それを見ていると切ない気持ち
  になりました。」

とても美しい京都言葉で話されたその習慣を聞いた時には、私も市田さんと同じようにきゅうっと胸を締め付けられるような気持ちがしました。
現在でもこの習慣は続いているところがあるようです。

こうした、花嫁に「死」を経験させる、あるいは死んだ人と同じ扱いをする、というお話しは全国各地にたくさんあります。
その習慣についてはまた別の機会にお話しさせていただくことになりますが、人が「死」を経験する前に不安にかられるのは当然のことで、それが結婚前の悲しい気持ち、いわゆるマリッジブルーにつながっているのかもしれませんね。


そういえば、ブライズルームで。
花嫁は部屋の中から靴を履いて式に向かいますが、これも意味深く感じてしまうのは考えすぎでしょうか。
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参考文献:『女の眼でみる民俗学』(中村ひろこ他著・1999年・高文研)

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2006年8月 7日 (月)

人生の花

Siestaでは花嫁一人ひとりに合わせて、パターンを作成し、仮縫いをします。

世界でひとつだけの、一人の花嫁のために生まれてくるドレス。

その役割を終えた姿は、花のように、はかなく感じられます。

結婚式のために咲き開くドレスをまとって、人生最良の日を迎える花嫁は、まさに「人生の花」です。

このブログのタイトルのSpringtime of Life。

この名前は、100年以上も前に描かれた絵からいただきました。

上村松園と言う女流画家が描いた「人生の花」。

英名を”Springtime of Life(Bride)”といいます。

http://www.meito.hayatele.co.jp/

所蔵作品紹介

http://www.city.kyoto.jp/bunshi/kmma/calendar/2004-2005/index.html
主催展・共催展案内[2004.4.4-2005.3]京都 秋の芸術文化月間 特別展「新説・京美人」


私がこの絵を初めて見たのは子どもの時でした。

家にあった画集でこれを見たときの感動は今でも忘れられません。

昨今まさに、黒引き振袖は花嫁の心をとらえていますが、私が子どもの時(昭和後期)には和装といえば白無垢や色打掛が一般的で、黒引き振袖は見たこともない花嫁衣裳でした。

その絵の、黒い衣装から引き立つ花嫁の白い肌や、角隠しに透かされた赤い布。

何よりも、花嫁のはじらいと共に伝わってくる不安や決意のようなもの。

音のない世界でありながら、映画のように語り掛けてくる一幅の絵は、「こんな花嫁になりたい」という憧れを抱かせるには十分なものでした。

松園は、この絵と同じ構図で「花ざかり」という絵を描いています(現在は焼失)。

松園が「花ざかり」を描くきっかけになったのは、知人の嫁入りの際、その手先の器用さを買われて、着付けなどの手伝いを頼まれたことでした。

「花こうがい、櫛、かんざし、あげ帽子など、花嫁の姿をスケッチし、付添いの母の、前に結ぶ帯までスケッチしたのがあとで役立ったのでした」と松園は語っています。

ほぼ同時期に描かれた「人生の花」も同じ環境の中で生まれたものだと考えられています。

Siestaの、花嫁を見つめる視線と同じものの中で生まれた作品。

私がSiestaのホームページの花嫁たちを見たときに、子どもの頃に感じたのと同じ憧れを抱いたのは、「人生の花」の花嫁と同じものを感じたからかもしれません。

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この写真は、花嫁の美しさが、凝縮された一枚。まさに「人生の花」。

松園の「人生の花」は、名都美術館と京都市美術館に所蔵されています。




参考文献:『現代日本美人画全集 第一巻 上村松園』(
1979年・集英社)

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2006年8月 3日 (木)

はじめまして。

はじめまして。敬子といいます。

私は「人の営みの記憶を残す」、ということをライフワークとしています。

昨年までは博物館で学芸員として働いていました。現在は充電中で、歴史研究者(夫ですが)の研究の下準備をしたりしています。

ウェブマスターの茂桐氏は、私好みの記事が書かれることが多く、ついそれに反応して食い下がっているうちに、今回ブログを書く機会を与えていただきました。
(おそらく相手をしているのがつらかったんだと思います。)

よって、私はSiestaの中にいるわけでもなく。

花嫁さんとSiestaの間にいる、そう、ひょっとすると”毒リンゴ”を持った魔女のような存在なのかもしれません。

ときどき、Siestaの意図することではないことも書いてしまうかもしれない、曲者なのです。

仕事柄、結婚についても、少しではありますが、その習慣なり、歴史なりを学んだことがあります。そんなこともあって、今回、私が知っているトリビアのようなものを、皆さんにお話しできることになったのですが。

私の持っているものは、本当にささやかなもので、私より確かなことをご存知の方もたくさんいらっしゃるはずです。

このブログでは、私の頭の中にある小さな知識の種に、私自身が見たもの、聞いたもの、感じたものを加えてお話しするつもりです。

学者とは程遠い人間が書くことですので、正確なものではないこともあるかもしれません。気楽に読んでいただければ、と思います。

ただ、人の営みの中に生まれたものには、今の常識からすれば許容できないようなお話しもたくさんあります。今の感覚で言えば理不尽なことも、現代の結婚につながっていたりします。結婚という晴れがましいことにはふさわしくない言葉があっても、私たちが生きてきた営みの中では避けられないこととして、どうかお許しいただければ、と思います。

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