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2006年8月14日 (月)

花嫁は二度死ぬ。

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のっけから、お叱りを受けそうなタイトルをつけてしまいました。

最初にお断りしたように、人の営みの中には残酷なこともある、ということを申し上げましたが、花嫁さんやそのご家族には「何たること!」と思われるかもしれません。
(映画のタイトルからもじってみたのですが。)
どうかこれも訳あってのことと、ご寛容にお許しいただければと思います。

人は誰でも死を経験します。
でも、花嫁というものは、実は結婚の時に「死」を経験するのです。
今日は、そんなお話しをさせていただこうかと思います。

ウェブマスター茂桐氏は民俗学という学問にとてもご興味があるようです。
民俗学と言う言葉については、茂桐氏がかつて「男性から見た結婚式」で書かれていました。
私も結婚についての歴史や民俗、昔から伝わるお話しには関心を持っていました。
人の営みの、習慣に秘められた“謎かけ”にはどんな意味があるんだろう。
そんなことを、少しずつ、皆さんにお伝えしていければいいな、と思っています。

ただ、現代においても結婚というものが、地域や個人によって多種多様であるように、過去においてもまた、「昔の結婚はこうだった」と一概にはいえません。 例えば離島によっては動物や植物が独自の進化をするように、人間の結婚という習慣もまた、交通やメディアの発達していない時代には地域独特の特色を持っていて、その名残を私たちはどこかで受け継ぎ続けているのです。

さて、本題に入りましょう。
皆さんは白無垢という花嫁衣裳は、「その人の色に染まりますように」という祈りが隠されている、とお聞きになったことはありませんか。
私もそのように聞いて育ちました。大和撫子らしい、奥ゆかしい習慣だな、と思っていました。

ところが、大学で「民俗学」なるものを習ったとき、とんでもないことを聞かされました。

白無垢は、死に装束(死んだ人の衣装)だというのです。
つまり、あの「白」は御棺の中の人と同じ、「白」であると。
夢見る十代の私にとっては衝撃的なお話でした。

花嫁は、それまで生まれ育った実家では「娘」でした。
結婚によって「娘」は死に、大人の女性として生きていくことを求められます。
もう「娘さん」と呼ばれることはありません。
その儀式が結婚式であるとすれば、花嫁衣裳の白無垢が、死に装束であっても不思議ではないのです。

結婚が式場やホテルではなく挙げるものではなく、家から家へ行くものであったとき。
花嫁衣裳を実家で着付けられ、花嫁は送り出されます。

白無垢を着付けてもらって、家を出るときも。
このとき、花嫁は家の中から草履を履いて出ています。
これは、葬送で言えば、出棺のときに担ぎ手が履物をはいたまま部屋を出て行くのと同じ意味合いからきています。
今でも新しい靴をおろすとき、部屋からを履いてでたらお行儀が悪い、と叱られるのは、この習慣に通じるものがあるからなのです。

そんなことを物語る、京都の習慣を一つご紹介しましょう。

服飾評論家の市田ひろみさんが、テレビの中でこんなことを話されていたことがありました。

  「京都ではお嫁に出るときは実家の玄関で茶碗を割るんです。死んだ人と同じよう
  に。二度と帰るな、という意味だと思うんですけど、それを見ていると切ない気持ち
  になりました。」

とても美しい京都言葉で話されたその習慣を聞いた時には、私も市田さんと同じようにきゅうっと胸を締め付けられるような気持ちがしました。
現在でもこの習慣は続いているところがあるようです。

こうした、花嫁に「死」を経験させる、あるいは死んだ人と同じ扱いをする、というお話しは全国各地にたくさんあります。
その習慣についてはまた別の機会にお話しさせていただくことになりますが、人が「死」を経験する前に不安にかられるのは当然のことで、それが結婚前の悲しい気持ち、いわゆるマリッジブルーにつながっているのかもしれませんね。


そういえば、ブライズルームで。
花嫁は部屋の中から靴を履いて式に向かいますが、これも意味深く感じてしまうのは考えすぎでしょうか。
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参考文献:『女の眼でみる民俗学』(中村ひろこ他著・1999年・高文研)

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