レースと皺と。
晴れの日にあわせ、美しくあろうとする花嫁。
美しくあろうとする裏側には、自分で最も自覚している欠点をカバーしたいという思いがある。かつての私も、普段の不摂生から酷くなった皺をなんとかその日に間に合うようケアをした。結局私はその日には間に合わなかった。しかし、その心持ちが花嫁たちを特別に仕立て上げる一つのエッセンスになっていることは確かだと思う。
先日、嫁した家の親戚の、米寿を迎えた女性を見舞った。昔話に出てくるような古い民家を一人で守り、草花を愛して生きてきたひとが、風邪をこじらせ、娘夫婦の家で寝ていた。
彼女の着ていた寝巻は、長い間繕い続け、何十年も着ているものであろうことがすぐにわかった。味わい深いその着物は、彼女を包むにふさわしい衣装だった。
皺を刻んだその顔や手は、老いて病んでもなお美しかった。
生まれたての赤ん坊を目の前にしたときのような、抱きしめたくなるようなかわいらしさが溢れ出ていた。
床に臥しても、ずっと古い家と畑と草花を心配していた。話は突如過去にさかのぼり、そして現在に戻り、縦横無尽に時を旅して彼女は語る。まるでレースのように彼女の人生が編みあがる。
ふと、自分の手の甲を見た。
若い娘の時とは違う、レースのような細かい網目が、私の手にもあった。
安心して老いていい。花ざかりは老木にもある。
私も美しく老いていくことができるだろうか。
