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2007年6月18日 (月)

夫婦のかたち

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ラフカディオ・ハーンというひとをご存知でしょうか。
ギリシャ生まれの彼は、世界のいろいろな国を巡る運命にあって、最後は日本に辿り着きました。明治23年のことです。

日本では「小泉八雲」という名前を名乗っていました。「小泉」は松江でもらったお嫁さんの小泉セツさんの姓、「八雲」は古事記の「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」という歌から取ったものです。「雪女」や「耳なし芳一」など、日本の古いお話を小説にして世に広めた人でした。
彼はセツさんにたくさんの日本の物語を自分に語り聞かせてくれるよう頼みました。セツさんもそれに応えるよう、たくさんの本を読んで彼に伝えましたが、本の通りに読むと機嫌が悪くなり、工夫しながら話すようにしたそうです。今に語り継がれる小泉八雲のお話の数々はセツさんがいなくては成り立たないものでした。

小さな虫や夕焼け、寂しい寺や日本の古いものを愛し、うそつきや弱いもの苛めを嫌いました。家も一切西洋風を嫌い、古いものを好むのでお化け屋敷に住みかけたこともあるそうです。

八雲が日本語を綴るのには、ほとんどがカタカナを使ったものでした。
片言の言葉をつなげたものでしたが、セツさんにあてた彼の手紙には「小・カワイ・ママ・サマ」とはじまり、「サヨナラ・カワイ・ママ・サマ」と括る、ほほえましい姿がうかがえます。

三人の子どもに恵まれました。
「パパ、グットナイト、プレザント、ドリーム」
「ザ、セーム、トウ、ユー」
よき夢見ませう、というのがこの家の眠る前の素敵な挨拶でした。

明治37年。狭心症を患いました。

その日の朝、不思議な夢を見た、と彼はいいました。
「大変遠い、遠い旅をしました。今此処にかうして煙草をふかして居ます。旅をしたのが本当ですか、夢の世の中」
「西洋でもない、日本でもない、珍しい処でした」

夜になって、寂しそうな顔をして、セツさんのところへ来て言いました。
「ママさん、先日の病気また帰りました。」
それから数時間後、口のほとりに笑みを含んで彼は旅立ったそうです。

セツさんが綴った『思ひ出の記』という本には彼と過ごした美しい日々のエピソードが描かれています。心美しいひとと、それを壊さないよう大切に大切に守った妻との時間は、100年経っても心打たれるものがありました。


参考文献:『思ひ出の記』(小泉節子著・2003年・ヒヨコ舎)

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