過去完了の結婚史9

イザベラバートの話を続ける。 明治の東北の山村だと、 基本的に男性の労働姿は、ふんどしのみである。 そして女性の労働の姿は、上半身裸であった。 そのあたり途方もなくルーズで、 人の家をたずねる際には、さすがに上を着たようだが、 忙しいときにははだけたまま往来を行き来する女性もいたようである。 そして子供の服装はというと、 お守りのみが衣装であった。 ようするに全裸である。 大変興味深いことに、 アイヌ人は極端に肌を露出することを嫌ったようである。 アイヌという民族は、 最近のY染色体ハプログループの研究によれば、 おそらく縄文人とみなして間違い無い。 その後渡来した弥生人が、 いうなれば「裸族」であって、 日本人の裸好きを規定したとかんがえるのが、 現在では最も妥当な見解であろう。 話を津山に戻すが、そこは そのような原日本人的な感覚により、 性的な倫理道徳観念はまったくゼロに等しかった。 そのような村落は一夫一妻制をもっていたことのほうが、 不思議といえば不思議なのだが、 だいたい一夫一妻制というのは、 婚姻道徳の問題ではなく、 相続の問題であり、識字率の問題である。

| | コメント (0)

過去完了の結婚史8

当時の津山の山奥では、 夜這いが普通であった。 女性の未婚、既婚を問わず、 男が夜中に押しかけてきて、いっしょに寝る。 そういう村落では家の構造もそれ用に作られており、 女性は戸のすぐ近くに、家族から離れて寝る習慣であった。 自分の奥さんが夜這いに遭う、 現代の感覚からすれば奇異なことだっかが、 当時の山奥村ではしばしばあったことで、 なにしろ亭主も夜這いをするのである。 貞操観念というものはほとんど存在していなかった。 イザベラ・バードという旅行者が居る。 彼女は明治はじめに来日し、 東京から東北地方、北海道まで女性の一人旅をし、 当時の日本人及びアイヌ人の描写を豊富に残しているのだが、 彼女も日本人を十分高く評価しながら、 彼女も「日本人は道徳的には疑問が残る人々である」 と記している。 その疑問の最たる点は、 とにかく裸が多い、ということであった。

| | コメント (0)

過去完了の結婚史7

都井は元来成績優秀な人物だったが、両親に先立たれ祖母に育てられ、
実家に財産が無かったために上級の学校に行けず、
祖母も孫を手放すことがつらかったため、田舎の村にとどめおいた。
気力、能力の十分にある人間が未来の無い山村にとどめおかれたことで、
彼のなかにはもやもやとした欲求不満がつのっていった。
悪いことに、かれは肺結核に罹患し、
徴兵検査に不合格になってしまった。

当日の田舎の人々にとって徴兵検査で不合格ということは、
ほとんど人間失格という意味であった。
自尊心の強い彼には耐え難いことであった。

そのような彼の不満は、次第に狂気の様相を呈するようになる。
猟銃に懲り、近所の人々から恐れられるようになる。
おそれれば疎むのが人情であって、
当然かれは疎まれるのであるが、
本人にとっては徴兵検査不合格の屈辱に合わせて、
近所の人々が自分を馬鹿にしている、報復したいという暗い感情を増幅する結果となった。

| | コメント (0)

過去完了の結婚史6

女性が実家に居続けて、男性が通い続ける、
しかしこの婚姻形態は、お察しの通り婚姻とも呼べないものなのである。
なぜならば、女性の下に通う男性が、毎日同じ人間とはいえないからである。

実際そのような時代の男女関係は、
乱交としかいいようのないルーズなものであった。
そのような状況を克明に明らかにする資料に、
津山30人殺しの事件簿がある。
以下概略を説明する。

1938、昭和13年、軍国主義の時代だが、
岡山県津山市の山村で、
若い男性が付近住民30人で猟銃で虐殺する事件が起こった。
男性の名前は都井睦(といむつお)。
色々説明のしかたはあれど、今日から見ればようするに、
夜這いの風習が無くなる前夜に存在する、境界線の時代の事件である。

| | コメント (0)

過去完了の結婚史5

いままで述べてきた直系家族というものは、あくまで今日の日本の結婚形態である。
過去にはそれと異なった結婚形態が存在していた。
それは前述したように、女性が(あるいは男性も)移動をしない結婚形態である。
幕末の土佐の国の山奥、今日の高知県山間部には、
結婚のない村があったそうである。
全ての男女関係が夜這いで成立しており、
女性も男性も家を出ない。
となるとだうなるか。
娘を持っている家はどんどん家族が増えてきて人間があふれかえる。
息子しかもって居ない家はどんどん家族が減ってしまう。
そう、家族数の増減というものは、家族が労働生産システムであった昔においては、
ものすごく重要な案件であったのである。
おそらく息子ばかりの家は、数十年で廃屋となり、
だれも人が居なくなった家に、女性のみの家族が入っていったのであろう。

| | コメント (0)

過去完了の結婚史4

日本の家族形態は直系家族である。
財産は一人の子ども、つまりあととりに相続される。
このような家族形態は、日本、ドイツ、ユダヤなどみ見られる。
女性の地位が高いので、子どもの知的水準が上がる。
一人の跡取りを優先して考える習慣から、
エリート意識が芽生える。

これはおそらく、鎌倉時代ころから始まった制度なのであろう。
本領安堵、一生懸命の思想である。

たわけ、という言葉がある。
あまり良い言葉ではないが、意味するところは明快である。
相続に際して田んぼ、農地を分割するのは最高レベルに愚かなことである、
という意味である。
これがすなわち直系社会の本質である。

では相続に預かれなかった人間はどうなるか。
僧になるか、武士になるかしていたのである。

| | コメント (0)

過去完了の結婚史3

エマニュエル・トッドの主張を一言で言うならば、
「全ては家族形態によって決定されている」
ということである。

実際には全てではない。しかし大部分は家族形態によって決定されている。
そして地球上の人類の家族形態は一つではない。

たとえば共同体家族というものがある。
基本的に大家族という理解でよいのだが、
これはロシアや中近東や中国で見られる家族形態である。
と書くと歴史をご存知の方はすぐに理解されるであろう、
つまりモンゴル帝国支配地は基本的に共同体家族なのである。
そして日本はそうではない。
蒙古襲来を防げたからである。

| | コメント (0)

過去完了の結婚史2

この結婚制度の話はエマニュエル・トッドの著作に詳しい。
このトッドという学者、私見によれば、
ウェーバもマルクスも完全に抹殺してしまう、
それほどの画期的研究をした大学者である。
私の知る限り、過去の社会科学者中最大の存在である。

これほど画期的な研究があまり人口に膾炙していないのはどうしたことだろうか。
かれの研究によって、世界はずいぶん見渡せるようになったというのに。

| | コメント (0)

過去完了の結婚史1

以上ツイッターでしてきた議論を少しまとめる。

1)元来結婚は女性が実家を出てゆかなかった。
(通い婚姻であった)

2)女性は結婚後も働いた。主婦は大変な労働であった

3)今日の結婚制度は女性の能力を殺す制度であり、不自然である。

これからさらに詳細に議論してゆく

| | コメント (0)

結婚思想1

結婚思想用テスト投稿です。

| | コメント (0)

金沢三代

今回アップしたMistue様

http://www.siesta-dress.com/brides/ki/preta7.html

Ki338

はお姉さまのご紹介で来られたお客様でした。

お姉さまも以前、当社でドレス作らせていただきました。

挙式会場は茨城県ひたちなか市です。

00090017

00120001

お二人とも大変創造的に仕事をさせていただき、楽しい思い出として残っています。

Mistue様の挙式には、お姉さまはお子さんを連れて出席されていました。

Ki000

Ki001

このように親族、知人の花嫁様をご紹介いただくことは、

ご満足いただけた証でもあり、

ドレスショップとしては最高に名誉なことです。

たとえば、

T様は石川県金沢市在住のお客様でしたが、

わざわざで東京三鷹まで通っていただきました。

T523119

挙式会場は石川県のぶどう園。

T523137 

撮影だけ上垣さんが行きました。

T523187

T523552

T様のご紹介でご来店いただいたI様、

1217

この方も金沢在住の方でした。

アメリカンスリーブのドレスをご用意させていただきました。

1062

会場は軽井沢の「石の教会」

1127

1163

このIさんからさらにご紹介いただきました、Fさん。

Img_1572

この方も金沢在住で、わざわざ通っていただきました。

Img_1682

会場は大宮のパレスホテル。

Img_2114

Img_2444

Img_9494

私は「金沢三代」と呼んでいます。

このように遠隔地からお越しのお客様には、

なるべく来店回数が少なくなるようにしておりますが、

それでも3回程度は必要になります。

遠来のご訪問、こころから感謝いたしております。

| | コメント (0)

6、西洋人の服飾観

えらく久々の更新になりました。

忙しくて更新できなかったのもありますが、

悩んでいました、以下の画像を掲載するかどうか。

実はまだ悩んでいます。

ですのでその前に歴史的な背景を説明いたしますと、

だいたい南方農耕民族の服はわりとからだにゆったりした構造で、

北方騎馬遊牧民族の服はからだにぴっちりした服です。

チャイナドレスは体にぴっちりしていますが、

これは清朝の支配者階級、当時満州に居住していた、

女真族という騎馬民族の服がチャイナドレスと呼ばれている、というだけの話で、

漢民族の伝統服は、基本だらりとしています。

西洋人もギリシャ、ローマまでは農耕系のゆったりした服でしたが、

ゲルマン民族が大挙襲来してから、基本ぴっちり系の服になりました。

さてそれで、

ぴっちり系の服の民族は、「肌を人前にさらしてはいけない」

という倫理道徳がなぜか成立するのです。

逆にゆったり系民族は、わりとそこらへんルーズです。

今の私たちの感覚では、西洋人のほうが露出度が高いのですが、

幕末日本に来た西洋人の日記など読むと、当時は違ったようです。

「~私たちが街中を通り過ぎると、異人が来たといって日本人が騒ぎ出し、

銭湯に入っていたうら若き女性が、裸のまま道端に飛び出してきて、

口をぽかんと開けたまま、珍しそうに私たちを眺めていた」

とかなんとか書いた日記が残っています。

実際、地方出身40代の私の子供時代には、

夏場になると上半身裸のお婆さんや、

田んぼにお尻を突き出しているお婆さんが

(つまり、少しでも肥料にしようということです)

ごくごく普通に存在していたのでございます。

と、ここまで書いて、問題の画像です。

西洋人の服飾観はつまり、こういうものです。

なんと馬鹿げたと、女性の皆様はお笑いになると思いますが、

とにかくこれが連中の発想の基本にある以上、どうしようもありません。

絶対に素肌は見せない、それでいて可能な限りにセクシーに、

その2点が至上命題にして最優先課題なのであるから、

少々コミカルになるのは、まあ大目に見ようじゃないか、という感じですね。

01

02

「ファッションの歴史」より)

| | コメント (0)

写真の品格

今回表紙に使ったkumiko様の写真は、

木下ひろこさんが撮影したものである。

Kd017

えらく格調の高い写真である。

ひろこさんは元来、動き回って撮影するタイプではなく、

その逆、一箇所にとどまって、ひたすらシャッターチャンスを待つタイプで、

シャッターチャンスがなければ、そのまま撮るのを止めてしまう。

そんなわけで撮影枚数は少なくなるし、

私なんぞはもっと動いて撮影して、

もっと無駄打ちしてもよいと思うのだが、

そのかわり数は少なくても、「本物の」写真が撮影できる。

本物の写真とはすなわち、余分な意図なく、小さな自己顕示もなく、

対象物を最善に撮影しようと、ただそれだけを純粋に考えて撮った、

真っ直ぐな、強い写真のことを言います。

昔お客様に彼女の写真を納品する際には、

「1年後、2年後に見返して下さい。

時間がたつと本当の価値がわかってくる写真です」

とお伝えしていました。

今のHPに掲載されていない、過去の彼女の作品をいくつがご紹介しておきます。

D00

F01

A083

Ris156

Img_2276

Mayu057

| | コメント (0)

色々

サイトマップ

http://www.siesta-dress.com/sitemap.html

にドレスの分類を加えました。

まだ製作途中ですが、やたら時間がかかりそうなので、

とりあえずのかたちでアップしておきます。

Nagisa様のドレス、

http://www.siesta-dress.com/brides/ng/preta4.html

色々反響いただいております。有難うございます。

Nagisa様はAyako様

http://www.siesta-dress.com/brides/tu/4style8.html

からご紹介いただいたお客様なのですが、

Ayako様のドレスがもう二度と作りたくないくらい複雑な構造のものであるのと反対に、

Nagisa様のドレスは究極シンプルデザインになったのは不思議です。

話変わって、最近みつけた文章ご紹介します。

田中優子という日本史の学者さんいらっしゃいますが、

その方の「きもの草子」

http://www.amazon.co.jp/%E3%81%8D%E3%82%82%E3%81%AE%E8%8D%89%E5%AD%90-%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E5%84%AA%E5%AD%90/dp/4473032477

このまさに表紙の写真、蝶の舞っている着物の話です。

「・・・ところで、この着物はまさに、老いた蝶の着物である。
地色になっている鮮やかに輝く山吹色は、
私が二十代のころそのまま着ていた色だ。
うねる波の地紋が入っている。
近づくと波に輝き、遠ざかると無地に際立つ。
裏も同色を遣い、色無地ではあるが派手な着物であった。
よく友人達の結婚式に、これを着て出席した。
いわば「一張羅」である。

しかしある日気がついたら、この着物は自分の身体から浮き上がっていた。
まったく身につかない。
私が老いたからであった。
三十代のころの話である。

母はさらに老いた蝶として、これを地味にする方法を伝授してくれた。
つまり濃い色を使って文様を染め、
それでも着れなくなったら、最後は全体を染める、
という方法である。
なるほど着物というものはそのようにして生まれ変わり、
作り変えられ、何十年も生き延びるものである。

(中略)

この着物にもその最初の変身のときがやってきた。
そして焦げ茶色の大きな蝶が舞うこととなった。
三十代から四十代なかばの私は、
この着物に蝶と同じ色の無地の帯をしめ、
祖母から代々伝わった翡翠の帯留めをつけて着た。

見事に違う着物に生まれ変わったが、
今の五十代の私は、もうこれすらも着ることはできない。

着物の変身をさらにすすめるとすれば、
次には、蝶をこのままにして着物全体を海老茶色に染め、
濃茶色の蝶が闇を舞うようにすることだろう。

さらにその次には、全体をこの蝶と同じ色に染め上げるとしよう。

こうして、蝶は闇の中に融けて消えゆく。
次には私が、闇の中に融けて消えゆく」

これを読んではじめて、女性の服にたいするこだわりが、

少し理解出来たような気がしたので、ここでご紹介させていただきました。

| | コメント (0)

ドレス思想家

Natsuko.K 様 撮影会

http://www.siesta-dress.com/art/kd/1.html

には、公園で遊んでいた子供たちが沢山押し寄せてきた。

Kd015

Kd020

最初は男の子も寄ってきていたのだが、

すぐに退屈して立ち去った。

一方女の子は、いつまでたっても花嫁のそばを離れようとしない。

Kd022

Kd051

自分たちは花嫁のそばに居る権利が当然あるものと、

根拠不明ながら思い込んでいるようである。

Kd071

挙句にドレスの裾を持ってくれるのである。

後日店内で写真を見ながら、

「年端も行かぬこの子らが、既にドレス至上主義に洗脳されているとは、

いやはや女性文化とはおそろしきものよ」

などと感慨をもらしていると、

当店スタッフ金子ユカが

Img_4227

突然ドレス思想家になった。

「なにを言ってるんですか。洗脳なんて逆です。

ドレスは小さな女の子にとって、一番自然なものなんです。

だからあの子たちは自然に寄ってきたんです。

それが、成長につれて、こんな服を着たら恥ずかしいだのなんだの、

余分な知識で洗脳されて、

本当に大事なものを見失って、嗚呼!(なんと嘆かわしい世であることよ、、)」

あまりの語気が激しく、

私も女の子であったことがないものだから、

なにも反論できず沈黙を余儀なくされた。

思い返せば、少し前にももそんな写真があった。

Ht183

Ht184

| | コメント (0)

ポージング

花嫁OGから、メールいただきました。

Minako24

のMinakoさま、ご出産されて現在子育て中のようです。

子育てBlogは、

こちら

ポーズ指導(をしているかどうか知りませんが)がなかなか宜しく、

衣装選択も的確ですので、一度ご覧下さい。

| | コメント (0)

5、洋服のパターンの重要性

最初簡略に書こうと思っていたこの話題ですが、
なんだかどんどん長くなっています。
ヴィオネを書こうと考えれば考えるほど、
当たり前ですが、長くなります。
困ったものですが、仕方がないですね。

それでヴィオネですが、
話の順序から三番目になりましたが、
この話題で触れる4人、
ポワレ
シャネル
ヴィオネ
バレンシアガ
の中では、一番古い人物です。
生没年を記入しますと、

ヴィオネ:1876~1975
ポワレ:1979~1944
シャネル:1883~1971
バレンシアガ:1895~1972

となります。一番早く生まれて、一番遅く亡くなっています。享年99歳!。
一般に、ポールポワレが女性をコルセットから開放したと言われていますが、
ヴィオネによれば、彼女が開放したのが早いらしくて、
そこらへんの事情は混沌としているのですが、
だいたいそんなふうなライバル関係です。

それでこの人は、パタンナーとしては、今日でも過去最高と言われる存在です。
洋服が他の服と大きく異なる点は、
パターン(型紙)作りの重要性が高いということです。
和服なんかは、だいたい決まりきった大きさで作りますね。
丈が長すぎたら、着るときに折り込んでしまう。
だからパターン(型紙)の重要性が低い、
そのかわり生地を作るのが大変で、
良い生地でないと着物にならない。
縫いも非常に繊細で、場所によっての縫い方の変化は繊細を極めますが、
それでもパターン的な苦労は(やったことありませんが)
おそらくほとんど無い。

料理で考えるとわかりやすくて、
日本料理は鮮度の高い素材を、
簡単な調理方法、例えば刺身ならば切るだけ、
もっとも名人になると高度な包丁捌きをするそうですが、
それでも悪い魚だと、名人でもどうしようも無いわけでして、
素材重視というか、素材に依存しきった料理体系です。
西洋の料理はぐつぐつ煮込んで、ソースを作って、
よく言えば知的で立体的ですが、
悪く言えばあまり食材は良くなさそうだなあと、
そんな感じがあります。

同じように、洋服はその知的で立体的な部分が、
大変重視されるのですが、
それはほとんど呪いに近いくらいでして、
1)着る人の体に、サイズがぴったり合っていなくてはならない。
2)人間の体の曲線を、演出しなければならない。
という二つの条件を、なにがなんでも満たさなければならないのです。
まずはこの写真ご覧下さい。

0

記述するだにおぞましいことですが、
この絵に描かれているおじさんは、
実は、自分の脚線美に自信を持っており、
それを強調するために、
わざわざタイツを穿き、
わざわざ服の裾を跳ね上げているのです。
嫌な自信ですね。
足のポジションが、
なんとなくレースクイーンのそれに似ているのも腹立たしいです。

しかしともかくもこれが、洋服の原理と言うべきものです。
こちらの写真と比べてください。

3

どちらが美しいかは別として、
どちらがセクシーかと聞かれれば、
(むかつきますけど)
前者と答えざるをえないでしょう。
大人しく穀物を食んで過ごしていた我々と違って、
むこうは肉食民族ですから、
むきむきの肉体をどこまでも誇示して行く、
そういう路線なのです。

しかしここで疑問に感じるのは、
「だったらぴったりした服を作るよりも、
もっと積極的に肌を露出したほうがセクシーではないのか?」
ということなのですが、
それについての話がまたもや少々面倒なので次回にします。

| | コメント (0)

BCによる撮影

当店のBC(当日の着付け、コーディネートの手伝い)は、

その日社内にカメラが余っていると、持っていって記録用に撮影をする。

スタッフの福田さん

(おそらく来店されたお客様の目に触れる回数が一番多いであろう人です)

も、気が乗れば結構撮る。

今回は昨年12月11日挙式のMariko様の当日写真。

Img_7775

彼女は正規のカメラマンではないから、

Img_7746

「写真として完成されたもの撮影しよう」という気持ちは、

全く無い。

Img_7781

自分が手がけたコーデディネイト、花嫁姿を、

なんとか絵として残したい、その気持ちが大変強い。

Img_7740

だから被写体に、ぐいぐいのめりこむような撮り方をする。

Img_7752

親が子供を撮影しているようで、

傍から見れば少々コミカルなほどである。

Img_7880

撮影技術は持って居ないが、気持ちだけでレンズを向け続ける。

Img_7798

すると不思議なもので、

いわゆる「カメラマン」には撮れないような、

力のこもった写真が上がってくる。

Img_8033

Img_8091

きっちりカメラを勉強したら、凄いことになるんだがなあと、思うのだが、

福田さんにその気がなさそうなのが残念である。

| | コメント (0)

4、シャネル~宝石ニクソン

ココ・シャネルについて説明するには、
しばらく相当退屈な話にお付き合いいただかなくてはなりません。

私たちは今、
紙で出来たお金や、
預金通帳に印字された金額や、
ネットバンクをしていてパソコンの画面に映された数字を、
「これはお金なんだ」
と信じ込んでいます。

でもそれは歴史的に見て、
かなり新しいことなのです。
大昔の人が見たら、
「そんなもんは詐欺だ、だまされるな」
と言ったと思います。

昔はお金といえば、
金(きん)そのものでした。
小金虫さんが金持ちになられたときには、
金蔵を建てて、
そのなかに金(きん)そのものを蓄えていました。

ところでお金というものは、
皆が日常的に使うものです。
ですからある程度の量が必要です。
そして皆が日常的に、沢山使えば使うほど、
商業の取引量が増えて、景気がよくなって、
つまり、経済が発展するのです。
つまり、皆が豊かになるのです。

でも、採掘された金の量は限られていますし、
その少ない金のなかから、
小金虫さんのような人が、自分の金蔵に蓄えてしまいます。
これではとても、普通の人が使うお金がありません。
流通する絶対量が少なすぎるのです。
だからと言って金を急に沢山採掘できるってわけでもない。

そこで人類は考えました。
「金引き換え券」をつくろうと。
それを沢山印刷して、
金の変わりにしようと。

小金虫さんの持っている金と同額の金引き換え券を印刷すれば、
お金の量が2倍になります。ちょっとずるをして、
小金虫さんの持っている金よりも多くの引き換え券を発行すれば、
お金の量は一気に何倍にもなります。

これは大変いいことですね。
皆がお金を使えるようになります。

もしも引き換え券を持った人全員が、
いっぺんに金との引き換えを希望して殺到すると困ります。
なにしろそれだけの金は、もともと持っていませんから。
でもみんなが豊かになるためにはこれしか方法がない。
多分みんな小金虫さんを信用しているから大丈夫だろう、、、

これが、今日の紙幣の起源です。
小金虫さんは、中央銀行と呼ばれるようになりました。
日本でしたら、日銀ですね。

そして、便利ですので、
中央銀行は、3倍、5倍、10倍と、
発行する紙幣をどんどん増やしてゆきました。
でもみんな、そのほうが商取引が活発になるので、
気にしませんでした。

そりゃそうです。
紙幣が増えて、商取引が活発になったほうが、
人間は豊かになれますからね。
自分たちがリッチになるための工夫に対して、
どうして文句をつける必要があるでしょうか?

そして、そのうち、日本の小金虫さん、つまり日本銀行が、
金との引き換えを完全にとめてしまいました。
だれも、気にしませんでした。
世界中の小金虫さんも、次々と引き換えを停止しました。
だれも、気にしませんでした。

そしてとうとう、その時が来ました。
最後まで引き換えをしていた、
アメリカでも金との引き換えが停止されたのです。
ニクソン大統領がその決断をしたのは、
1971年のことでした。
これ以降、紙幣は金と切り離された存在になりました。

と長々と説明してきましたが、
もうお分かりだと思います。

Ug271

ココ・シャネルという存在の、最大の意義は、
本物の宝石で出来たダサいアクセサリーより、
よくデザインされたイミテーションのアクセサリーのほうが、
価値があるのだと、そのように言い始めたことにあります。

宝石は金と同じで、急に沢山採掘しようとしても、
できるものではありません。
だからシャネルがそういっても、だれも、文句をつけませんでした。

そりゃそうです。
豊富な選択肢を持って、自由にコーディネートしたほうが、
女性は美しくなれますからね。
自分たちがより美しくなれる工夫にたいして、
どうして文句をつける必要があるでしょうか?

Mo803

そんなわけで、ファッション界は、
政治的にはポワレによって、
経済的にはシャネルによって、
完全に近代社会に対応したものに変貌したのです。

それにしても不思議です。
引き換えることが出来ないほどの額の引き換え券を発行するなんて、
悪いことです。
でもそれを、物凄く大規模にすることによって、
人類は発展し、豊かになりましたから、
良いことになるのですからね。
変な理屈です。

この理屈、なにかに似ていますね。
そう、
「一人殺せば殺人犯、一万人殺せば英雄」
という理屈です。
ここらへん、政治と経済の二つの切り口から見た、
人類社会の持つ、
大きな、
実に大きな、
闇の部分の断面と言えそうです。

ともかくもこれで、
ファッション界が近代社会に適応するための、
政治的、経済的環境は整いました。
あと必要なものは、
機関車、黒船、自動車、飛行機、パソコンなどを作る、
エンジニアたちです。
ワットやニュートンが必要になってくるのです。
といっても所詮は服屋ですので、
複雑な方程式が必要というわけではなく、
パターン、つまり型紙の開発が全てです。
次回はマドリーヌ・ヴィオネについてご説明いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

3、ポワレ~コスプレ帝国主義者

彼の本質、存在意義は、
1枚の写真を見ればだいたい分かります。

http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Poiretdress.jpg

典型的にオリエンタリズムな服装ですが、
ポワレはこんなことを、
世界中の衣装でやっていました。
着物風ドレスあり、
中国風ドレスあり、
こういうことはつまり、
「着て楽しむ文化人類学」とでも言うべきもので、
その根底にあるのは、
帝国主義です。

近代ヨーロッパは、
全世界をその支配下におきました。
支配者サイドに立った人間は、不思議なもので、
やみくもな収集癖がつくのです。
全部の資料を集めたい、
地球上の人々の全ての情報がほしい。

今日そういうことをしているのが、
Googleという会社でして、
地球上の全ての場所の地図と衛星写真が見れる、
全てのウェブサイトが検索できる、
そういうことをやっていまして、
それでGoogle内部では、
「自分たちは地球政府を作るための仕事をしている」
と、そういう意識でやっているそうでして、
これなんかネット帝国主義とでも言うべき、
気宇壮大な志ですが、
ポール・ポワレと、
彼を支持した当時のパリの人々は、
今日のGoogle社員のような気持ちで、
世界中のコスチュームを、
自分たちのものにしようとしていたのです。

Img_3452

というわけでポワレの説明は終わりで、
googleのおかげでわりと簡単に済んだのですが、
次のシャネルは少々やっかいです。

世の中というものは、
政治と経済で出来ていまして、
近代社会の政治をファッションで体現したのがポワレならば、
経済を体現したのがシャネルなのですが、                           その経済の話に少々基礎知識が必要なのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«2、写真とファッション