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2008年7月

BCによる撮影

当店のBC(当日の着付け、コーディネートの手伝い)は、

その日社内にカメラが余っていると、持っていって記録用に撮影をする。

スタッフの福田さん

(おそらく来店されたお客様の目に触れる回数が一番多いであろう人です)

も、気が乗れば結構撮る。

今回は昨年12月11日挙式のMariko様の当日写真。

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彼女は正規のカメラマンではないから、

Img_7746

「写真として完成されたもの撮影しよう」という気持ちは、

全く無い。

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自分が手がけたコーデディネイト、花嫁姿を、

なんとか絵として残したい、その気持ちが大変強い。

Img_7740

だから被写体に、ぐいぐいのめりこむような撮り方をする。

Img_7752

親が子供を撮影しているようで、

傍から見れば少々コミカルなほどである。

Img_7880

撮影技術は持って居ないが、気持ちだけでレンズを向け続ける。

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すると不思議なもので、

いわゆる「カメラマン」には撮れないような、

力のこもった写真が上がってくる。

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きっちりカメラを勉強したら、凄いことになるんだがなあと、思うのだが、

福田さんにその気がなさそうなのが残念である。

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4、シャネル~宝石ニクソン

ココ・シャネルについて説明するには、
しばらく相当退屈な話にお付き合いいただかなくてはなりません。

私たちは今、
紙で出来たお金や、
預金通帳に印字された金額や、
ネットバンクをしていてパソコンの画面に映された数字を、
「これはお金なんだ」
と信じ込んでいます。

でもそれは歴史的に見て、
かなり新しいことなのです。
大昔の人が見たら、
「そんなもんは詐欺だ、だまされるな」
と言ったと思います。

昔はお金といえば、
金(きん)そのものでした。
小金虫さんが金持ちになられたときには、
金蔵を建てて、
そのなかに金(きん)そのものを蓄えていました。

ところでお金というものは、
皆が日常的に使うものです。
ですからある程度の量が必要です。
そして皆が日常的に、沢山使えば使うほど、
商業の取引量が増えて、景気がよくなって、
つまり、経済が発展するのです。
つまり、皆が豊かになるのです。

でも、採掘された金の量は限られていますし、
その少ない金のなかから、
小金虫さんのような人が、自分の金蔵に蓄えてしまいます。
これではとても、普通の人が使うお金がありません。
流通する絶対量が少なすぎるのです。
だからと言って金を急に沢山採掘できるってわけでもない。

そこで人類は考えました。
「金引き換え券」をつくろうと。
それを沢山印刷して、
金の変わりにしようと。

小金虫さんの持っている金と同額の金引き換え券を印刷すれば、
お金の量が2倍になります。ちょっとずるをして、
小金虫さんの持っている金よりも多くの引き換え券を発行すれば、
お金の量は一気に何倍にもなります。

これは大変いいことですね。
皆がお金を使えるようになります。

もしも引き換え券を持った人全員が、
いっぺんに金との引き換えを希望して殺到すると困ります。
なにしろそれだけの金は、もともと持っていませんから。
でもみんなが豊かになるためにはこれしか方法がない。
多分みんな小金虫さんを信用しているから大丈夫だろう、、、

これが、今日の紙幣の起源です。
小金虫さんは、中央銀行と呼ばれるようになりました。
日本でしたら、日銀ですね。

そして、便利ですので、
中央銀行は、3倍、5倍、10倍と、
発行する紙幣をどんどん増やしてゆきました。
でもみんな、そのほうが商取引が活発になるので、
気にしませんでした。

そりゃそうです。
紙幣が増えて、商取引が活発になったほうが、
人間は豊かになれますからね。
自分たちがリッチになるための工夫に対して、
どうして文句をつける必要があるでしょうか?

そして、そのうち、日本の小金虫さん、つまり日本銀行が、
金との引き換えを完全にとめてしまいました。
だれも、気にしませんでした。
世界中の小金虫さんも、次々と引き換えを停止しました。
だれも、気にしませんでした。

そしてとうとう、その時が来ました。
最後まで引き換えをしていた、
アメリカでも金との引き換えが停止されたのです。
ニクソン大統領がその決断をしたのは、
1971年のことでした。
これ以降、紙幣は金と切り離された存在になりました。

と長々と説明してきましたが、
もうお分かりだと思います。

Ug271

ココ・シャネルという存在の、最大の意義は、
本物の宝石で出来たダサいアクセサリーより、
よくデザインされたイミテーションのアクセサリーのほうが、
価値があるのだと、そのように言い始めたことにあります。

宝石は金と同じで、急に沢山採掘しようとしても、
できるものではありません。
だからシャネルがそういっても、だれも、文句をつけませんでした。

そりゃそうです。
豊富な選択肢を持って、自由にコーディネートしたほうが、
女性は美しくなれますからね。
自分たちがより美しくなれる工夫にたいして、
どうして文句をつける必要があるでしょうか?

Mo803

そんなわけで、ファッション界は、
政治的にはポワレによって、
経済的にはシャネルによって、
完全に近代社会に対応したものに変貌したのです。

それにしても不思議です。
引き換えることが出来ないほどの額の引き換え券を発行するなんて、
悪いことです。
でもそれを、物凄く大規模にすることによって、
人類は発展し、豊かになりましたから、
良いことになるのですからね。
変な理屈です。

この理屈、なにかに似ていますね。
そう、
「一人殺せば殺人犯、一万人殺せば英雄」
という理屈です。
ここらへん、政治と経済の二つの切り口から見た、
人類社会の持つ、
大きな、
実に大きな、
闇の部分の断面と言えそうです。

ともかくもこれで、
ファッション界が近代社会に適応するための、
政治的、経済的環境は整いました。
あと必要なものは、
機関車、黒船、自動車、飛行機、パソコンなどを作る、
エンジニアたちです。
ワットやニュートンが必要になってくるのです。
といっても所詮は服屋ですので、
複雑な方程式が必要というわけではなく、
パターン、つまり型紙の開発が全てです。
次回はマドリーヌ・ヴィオネについてご説明いたします。

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3、ポワレ~コスプレ帝国主義者

彼の本質、存在意義は、
1枚の写真を見ればだいたい分かります。

http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Poiretdress.jpg

典型的にオリエンタリズムな服装ですが、
ポワレはこんなことを、
世界中の衣装でやっていました。
着物風ドレスあり、
中国風ドレスあり、
こういうことはつまり、
「着て楽しむ文化人類学」とでも言うべきもので、
その根底にあるのは、
帝国主義です。

近代ヨーロッパは、
全世界をその支配下におきました。
支配者サイドに立った人間は、不思議なもので、
やみくもな収集癖がつくのです。
全部の資料を集めたい、
地球上の人々の全ての情報がほしい。

今日そういうことをしているのが、
Googleという会社でして、
地球上の全ての場所の地図と衛星写真が見れる、
全てのウェブサイトが検索できる、
そういうことをやっていまして、
それでGoogle内部では、
「自分たちは地球政府を作るための仕事をしている」
と、そういう意識でやっているそうでして、
これなんかネット帝国主義とでも言うべき、
気宇壮大な志ですが、
ポール・ポワレと、
彼を支持した当時のパリの人々は、
今日のGoogle社員のような気持ちで、
世界中のコスチュームを、
自分たちのものにしようとしていたのです。

Img_3452

というわけでポワレの説明は終わりで、
googleのおかげでわりと簡単に済んだのですが、
次のシャネルは少々やっかいです。

世の中というものは、
政治と経済で出来ていまして、
近代社会の政治をファッションで体現したのがポワレならば、
経済を体現したのがシャネルなのですが、                           その経済の話に少々基礎知識が必要なのです。

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2、写真とファッション

ファッションデザインは、
政治家タイプの
ポール・ポワレと
ココ・シャネル。
エンジニアタイプの、
マドリーヌ・ヴィオネと、
クリストバル・バレンシアガ
この4人に集中していると言いました。

この4人で、絵画ならルネサンスからピカソまでくらいの、
それくらいのウエイトがあります。
それはなぜなのでしょうか。

その理由は服の製作者の知名度が十分に上がったのは、
ようやく19世紀終わりごろからだからです。
期間的に短いのです。

画家で考えましょう。
昔の画家は、例えば
「高名なミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の壁画」
などを実際に見学に行って、
絵を勉強しました。
その画家は当然、ミケランジェロの影響を受けます。
そんでもって、その画家の弟子も、
(師匠がミケランジェロの影響を受けていますから)
当然ミケランジェロの影響を受けます。

そうやって、名の知れた画家の作品は、
後世に影響を与え続けます。
絵が残り、名前が残っている限り、
影響は続きます。

しかし服は、絵のようには残りません。
実用品ですから、擦り切れてしまって、消えてなくなるのです。

古い服装を研究する人は、
当時の絵画を参照しますが、
画家が服の内部構造を理解できて描いているわけではありませんからね。
資料にはなりますが、あんまりあてにならないのです。

だからこそ、ファッションデザイナーなる職業の存在の基盤は、
写真にあるのです。
写真が発明されたのが19世紀前半、
誰でも使える道具になったのが、19世紀末、
Vogueの創刊が同じくらいです。

写真というかたちで、
服のデザインが、
服の流通以上の広がりで流通してゆく。
そしてようやく、ファッションデザイナーが
知名度を持ち始めるのです。

Machi209

映画という技術が確立したからこそ、
映画監督や映画俳優という仕事が発生したように、
ファッションデザイナーと言う仕事が誕生したのは、
写真という技術が根本になっています。
あくまでテクノロジーの上に乗っかった存在です。

もちろんそれ以前から服をデザインする人はいたわけですが、
ただ服屋さんの責任者さん、という存在でしかなかったのです。
もちろん画家のような知名度のあるひとは一人も居ません。
そんなわけで、美術界や音楽界や文筆界に当たり前のように存在する、
「時代を超えて影響を与える、受ける」
ということが、この業界では、ほとんど無かったのです。

遅いですね。
服は太古から存在するのに、
服を立案する人が、現在のような存在になったのは、
つい最近のことなのですから。

私たちは、
ミケランジェロの名前を知っていますが、
同時代にイタリアで服を作っていた人の名前は知りません。
それはそれで、良いことでも悪いことでもないのですが、
写真技術の確立を背景として、
「俺はミケランジェロのような存在になってやる」
という野望を抱いた服屋さんが現れました。
それがポール・ポワレなのですが、
長くなりますので続きは次回に。

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